
ぜんぜん写真と合ってないけど。
諦めなければ事実は確定しない日本人は自然と諦めの悪い国民性をまとっちゃいます。多分に感じるところはあるんですけど、中国に、智顗 チギと読みます、隋の時代、西暦500年代の後半に登場した仏僧なんですが、摩訶止観とかの本を書いてて、きっと摩訶不思議 の語源になった本ではないかと思うんだけれど その中で 3つの諦めを説明している らしいです。
日本の仏教文化が色が濃かったのは聖徳太子の頃だから隋の時代の仏教が最新の智恵として日本に伝わって来てるだろうから、このチギさんの影響は大きいです。
いろんな説明がその3つの諦めにされていますが、こっからは bunsen の勝手なおバカな理解なんだけれど、みんなこういう時は事実と認めて諦めるんだよ。その方法を教えるからね。と説明してると思ってます。
1個めは 空 クー。物事には抽象化された姿があって、身長、体重、胸囲、足の大きさ などなど、抽象化の一つの姿とも言えますが 数量化して事実を受け入れる方法です。採用で言えば履歴書みたいな判断基準かなと。身長160センチ 体重80キロ ならあなたはそう思わないかもしれないけど おデブなんだから諦めなさい。そういうわけです。
もう一つは 仮 ケです。これは事実のいろんな角度からの様子で確認して事実として諦めましょう。ということです。買い物するときに手に取ることができないとコメント欄や買った人の評価、そうAmazonのコメント欄を見て判断しますね。評価は良し悪し様々ですけどなんとなく商品性が伝わります。それも事実を確認する一つの方法ということです。危うさはありますが投票で決まる政治とか、裁判員制度とか、人間社会はこの方法で事実を決めてしまう傾向は強いですね。外面を良くしようと思うのはこのためです。
そして最後は 中 チュウです。仏教中道というのは別に真ん中が好きというわけでなくて、この中チュウの概念から来てます。これはまー、その実態が知りたければやってみなさい、行ってみなさい、食べてみなさい。と、いうことです。通販で返品OKをうたうのはそのためです。火が怖いことを理解させるのに子供にはちょっと火傷させたり、体験入学だとか、体験的に仕事してもらったりとか。それらを通じて事実を受け入れる そういうことかと。
これは自分の経験ですけど評価が今ひとつの部下を預かると、預かってみるととても優秀。逆に、評価の良いと、されてる部下は今ひとつということが多かったです。人事は仮の世界で決まりますのであまり信用ができない、それが現実の社会と感じました。やはり付き合ってみないとわからん。
縁を中心に事象が動く考え方が中心の仏教ではこの中、チュウを最も大切な価値判断、事実確認の方法としておすすめするわけです。確認したときにはそこにはまっているのでまさに人生体当たり、良縁を信じて突き進むのみ。雑な言い方をすれば、仏教が期待する生き様はそのようになります。わかったときにはすでに遅い。またやり直せば良いじゃないか。
何の話をしていたか忘れてしまいましたが、諦めの悪い日本人に諦めるきっかけを提示してくれているというわけです。チギ恐るべし。


