
藤野にはシュタイナーという自主性を重んじる教育スタイルが売りの学校があります。芸能人や、そういった独特の教育観を持ったご家族が、移住してまでも、この学校にご子息を通わせたいと、そこまでのファンがいる学校のようです。Bunsenは詳しくは知りません。
仏教では説法において、2種類あって、それは、随自意と随他意です。弟子の程度に合わせて説法する場合は随他意。弟子の程度に関係なく説法する場合は随自意。
生徒がわからないまんま行う教育もあるぞ。というわけです。凄い話です。
しかしながら、教育にあって、相手がわかるのに合わせていては前に進まないケースは結構多くて、かなりの割合がそんな風に感じます。
赤ちゃんが言語を習得するのに、一つずつの会話の内容を理解しながら学習するでしょうか?ほとんどついていけない両親の会話を分からないまま何度も聞いて言語を習得します。赤ちゃんに合わせて会話をしたりしませんね。
円周率を学ぶときに、3とか3.14とか、実際は小数でも何でもない値なんだけれどπとも教えない。相手の程度に合わせて嘘を教えるわけですが、時間の経過とともに事実を知るわけで、しかもπは小数でも表せないので、数字でなくて文字で表すことになるわけです。
気になるのは、教育は随他意であるべきとする風潮が強すぎる気がするということです。教育者はもっと自信を持って、自分をして相手に教え込む根性が必要です。また、生徒はそれを信じる度量が必要です。その緊張感の中で師弟の信頼が生まれると思うのですが、今の多くの教育者は、相手の気づきを促すばかりで、ある意味、責任逃れを繰り返していて、生徒は、そういう教師を信頼していない。日本らしくない構造になっているように思うのです。


