円安止まらず、150円は通過点 20231101
ドル円の日足チャートだ。
もし世の中の出来事が、なんらかの合理的な3段論法か何かの演繹的結果として事象が決まっていくと考えている人がいるとすれば、その誤りに早く気づくべきだろう。Bunsenに至っては、唯物論はまやかしで世の中の本質は唯心論に近いとさえ思っている。心の思いや振動、揺らぎも唯物論と言ってしまえば唯物論とも言える。なんのこっちゃ。
さて、ドル円の動き。前回150円になった時、日銀が為替介入を行い、タイミングよく他の事象も重なり130円台まで下がった。しかし、米国の雇用、景況が強いと確認されると、インフレ抑止のため米国金利はじわじわ上がり続け、日銀も日本国債の買い支えも限界となり10年国債の1%付近を許容したものの、ドル高は加速した。150円に戻ってきて、また、介入があるのでは?もしくは介入しているのでは?との思惑から150円でへばりついていた。
昨日日銀決定会合で日本の長期国債に対する柔軟な対応が示されて、普通なら、日本の金利の上昇、円高に振れるはずだったが、実は、日銀のドル保有高も開示されて、為替介入がなかったことが確認されると、なーんだ、150円でも介入しないんだと、円は売られて一気に151円台に駆け上がった。歯止めが効かない。
金利を上げても通貨が弱いまま。そのような国は、アルゼンチンなどの発展途上国と同じなんだ。要は信用されていないということ。例えば、お金を返してくれなさそうな人にお金を貸す時、どんなに利息を付けてくれても、多くは貸したくないよね。金利が高くなっても円を持ちたくない投資家ばかり、ということにちかい。戦争が起きれば安全資産の円を持ちたがり、円高になったのは今や昔のこと。
世界経済は、ことほどさように、思惑で動く。思惑は欲望と恐れのバランスで構成される。世界を動かしているものは欲望と恐れであり、それと離れた善良な市民は、燃える欲望の薪にしかならない。
こうして私たちは高い灯油を買い、価値の落ちた円で給与が支払われる。巨大資本の思惑の影で苦しむのだ。合理的でも何でもない。しかし、それが事象。受け入れるしかない。


