ピカソの絵を見て価値を感じられた人は、少なかった。今となれば多くの人に愛されて価値もそれはそれは天文学的な価値を持っている。

BunsenもRyokoもピカソの絵が好きで、寝室や、廊下に飾っている。ポスターだけれど。仮にここに、フェルマールやドラクロアの絵が飾ってあったら、怖くて、重たくてちょっと居心地が悪い。

ピカソの絵はキュービズム、抽象画に分類される。絵画の歴史は、写実的なものから、印象的なもの、そして、抽象的なものへと、進化というか、好みの部分もあるが、進展してきた。

この抽象化のプロセスは音楽の世界でも見られる傾向であり、さまざまな分野で見られる傾向である。

メタバース、ビットコインなどのキーワードが飛び交うが、これらもその文脈と言える。

通貨は、物物交換から始まり、価値の保存、交換の容易さから、軽くなることが望まれて、金を裏打ちした通貨から、更には金の裏打ちすら無い通貨に進展し、紙幣ですらなくなり、銀行の信用のもと、数値だけのやり取りに進展した。それでも通貨は国家の責任で刷られるものであったが、暗号というデジタルな価値を持って、政府からも切り離されようとしている。

ピカソの絵までは価値を感じられるBunsen だが、仮想通貨となると混乱してしまうが、その足音は大きくなりつつある。画像や動画はネットで送れるのに、何でお金は送れないの?と、言われたりすると、そりゃそうだ。そういう時代が来ると予感される。

抽象化されて全てが通信で運ばれる時代。個人もアバターで再現されて、メタバースの中で活動する時代。それが次の時代になる。全てが抽象化されてまるでゲームの中で生きていくような社会。生身のコミュニケーションとか損なわれていくと、また、少子化は進むんだろうな。

壁を飾る絵画は写実的だと怖くてトイレに行けなくなるけれど、全てが、自分までもが、デジタルな、抽象的な世界に溶け込むとなると、怖さを感じる。

イラク戦争の時に米軍の兵器の操作がゲームのようで、その下で生身の人間が死んでいった様子を見て、なんとも言えないズレを感じたが、いよいよ自分もその世界に溶け込む時代が来たんだなと、覚悟が必要だ。

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