もはや戦後ではない。この言葉は、60年ほど前に経済白書に書かれた言葉だそうだ。総理大臣が言った言葉なんだろうなと思っていた。私の人生はその数年後に始まる。高度成長とともに生まれた。

そして、失われた30年。人生の後半は失われた30年とともにあった。バブルが弾け、それから抜け出せないまま社会経済は停滞し、国の借金は増える一方税金も増え、平均給料は上がらない。富める者は更に富み貧しい者は貧しくなり構造化した。平均という意味では今や1人あたりGDPはギリシャに劣る。不思議なことにそのことを憂いる人が少ない。
これからどうなるのか。ギリシャに劣るのなら、少なくともギリシャっぽくなるのは必然的だ。国家がデフォルトに陥り信用を失い、極端な円安が進み外国の物は高くて買えない、そう、戦後直後のようだ。
国の借金が国内で閉じているから安心という財務大臣。借金であることは変わらないが、いわゆる、リスケ、借金返済の長期化、昔の徳政令みたいなものは、相手が国内ならやり易い。その違いくらいだ。他国の債権とバランスしているという意見もあるが、債権を即刻現金化できるわけもなく、借金と同じ土俵で議論ができる話ではない。
なんでこんなになっちまったのか。おいらに責任はあるのか。これからどげんしたら良かと。
秋葉原を歩いていたら、自分の名前を連呼して、俺に一票入れたらこんなばら撒きやってやる。俺は6期当選の政治家だ。俺に任せろ。という趣旨の大音量が聞こえて、こういうのが6期もやってればそうもなるかなと思う反面、またこういう奴が全国各地から出てくるので、円が価値を持つうちに他の資産に変えておかないといけないなー、憂国のふりをして自分可愛さで将来の凌ぎを考える。
多少なりとも蓄えがあれば、そういう凌ぎも可能だが、家計が自転車操業の場合、そうもいかない。ん?自分ちもあまり変わらない操業状況だが、とりあえず秋葉のヨドバシで洗濯機を買い、RYOKO にはまだまだ灯油が上がるから今のうちに冬用の灯油を買っておいてとお願いした。インフレが進行したら手がつけられなくなるので、大きな買い物、藤野宅のリフォームを明日から始める。結局自分勝手だな。
1970年代の石油ショックと狂乱物価、トイレットペーパーを買うためにスーパーに付き合わされた。あんな風になっちまうとは思わないけれど給料をもらえる立場なら給料が上がるから良いが、年金暮らしの皆さんは、これから痺れることになるし年とってるから。デモも企画できない。老人ホームとは名ばかりの姨捨山に行くしかあるまいて。
おいらも含めて失われた30年、何もしてこなかった報いか。


