
Bunsenの父は大正15年生まれ、紆余曲折の中、横浜で婦人服の製造、卸をしていた。横浜は繊維の町の側面もあり、まさにその中でのビジネスだ。父はシーズンになると元町を歩き、今年の流行を掴みさらに良いデザインのブラウスを記憶して似たようなブラウスをデザインして加工屋、ボタン穴かがり、を回ってブラウスを完成させて、今もあるのかな東京ブラウスさんに卸していた。売れ残ると、西友、キンカドウ、イトーヨーカドーに半値ハチ掛けで売却して生業を立てるのだ。自分にはできない。デザインのセンス、コーディネート全てが求められるビジベスだ。
Ryoko は高い服を買うわけでは無いのだけれど、父的には極めて服に対するセンスが良くて、ryoko が良いと感じた服を選んで制作すれば間違いなく売れる。 お前はセンスがないけれどそういうビジネスをやってみろ。俺が教えてやる。横浜にはまだそのネットワークがある。80超えてそんなことを言っていた。
幼稚園の頃は父の車の横に座り、大井さん、これは縫製屋、それからミタさん、これは穴かがり。どこに家があるかも記憶している。縫製屋は家内での仕事で、とても羽振りの良い生活の縫製屋ではなかった。父は、福島や東北の方に持っていけばもっと安くブラウスを作れることを知っていたが、それをしなかった。しかも加工屋さんの生活を見て、縫製の単金をあげていたりしていた。あの家計のひとつも守れなくて、どうすんのよ。幼心に、東京ブラウスのバイヤーとの会話を覚えている。
また、西友はダメだけれどイトーヨーカドーは伸びると見切っていた。バイヤーがコーヒー一杯も飲まない、絶対返品しない。感心していた。
ふと、アパレル業界の闇というYouTube を見て、父の言葉が甦ってきた。本当に情けない。残念なことだ。父がこのYouTube を見たらどんな風に感じるのだろうか。


