Bunsenの父は大正15年生まれ、私の世代のご両親の年齢からすると早くに産まれている。岐阜で生まれて、横浜でビジネスを起こし繊維業を生業にした社長さんだ。私は父の助手席に座りその仕事ぶりを見ていた。幼稚園の頃だ。

私が入社の報告を父にしたら、お前ぐらいは自分で商売をやると言ってくれるかと思った、と残念がった。私が入社した時期から日本の低迷が始まる。日本は貧乏になった。

保育園は生計に余裕がなく小さいうちから子供を預けなければいけないご家庭向きの託児所で私の世代は殆どが幼稚園しか行っていない。

大学に入ってバイトしている学生はそれほどはいなかった。

何が日本をそうさせたか、高度成長の反動としての家庭のありようの変化、この要素は大きいが、もう一つの側面は、企業の役所化も大きい。

入社してから、すぐに、ものすごい違和感を感じ始めた。自分の毎日が対価に値しない。父が働く様子を知っていたので、そのギャップに苦しんだ。その感覚を大切にすれば良かったのにな。とも思うが飛び出ることはしなかった。ただ、小回りのきく子会社での仕事を希望した。しかし、その子会社も一部を除き相似形だったし、むしろ上目使いの経営で自縛度がひどかった。

この様な組織が企業とすれば30年どころか未来も失われることだろう。

田舎にいると、国鉄、東電、農協、地方公務員、NTT、郵便局で働いていたと言う方が非常に多いことに気づく。他に働き口が無い事情があるのだろうか。

円安の中、世界の企業が日本に工場を作り始めた。もう一度安い労働力を提供する国家として一からやり直しか。安い労働力か。しかも高齢。残念すぎる末路。

なんとかならないか、若い社員をボーッと眺めながらいつも思うことだが、その若い社員が役所的だったりすると、深いため息が出る。

一方で背水の陣で生きる自営業の方と接する機会も増えて、清々しい。思えば今年はそういう年だった。

還暦、自分の居場所も還暦で良いか。

年の終わりに。ぼやき納め。

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