
失われた30年の戦犯探しはあちらこちらでよくされていることです。どれも言われればそうだなと思うことばかりです。なるほどと合点がいって、ではどうするかとなると、はてっと。語る人間が失われた30年を経てきた人ばかりで反省はしてみてもこれからのことには無責任で、語るだけで、恐らく次の10年も失われるのだろうなと思います。
そういう帰納法的に次の10年も失われる予感の中で将来に不安を感じ少子化は進み次の世代も失われることになる。つまり、失われた30年は即ち失われた40年であり、失われることの必然性が既に内包されているように見えます。
歴史を振り返ると国力には周期があり、一度その周期が過ぎると相当な期間は戻っては来ないです。エジプト文明が栄華とすれば5千年は戻ってきていないわけです。大きな意味では諦めるしかなく、その流れを受け入れて、その中でどうするかを考えないといけないと思います。
GDPにこだわらないブータンのような、ある意味開き直りも必要です。生活が苦しいことを受け入れて、そうは言っても幸せだ。辛いことになりますが受け入れざるをえないし、結構近い状況にもあるように思われます。
貧乏化のプロセスにあって日本人が他と比べて一層難しくなることは、よって立つ宗教が無いということです。宗教は生き方を説いていますから経済的に恵まれなくてもその生き方に沿っていれば人生に満足を得ることができます。それが無いとなると、ただただ苦しいだけで、少し恵まれた他の人に対しての心の整理がつかない。辛抱強い国民性ながらどこかで亀裂が入り、逆にそれを支えるような新興宗教が生まれて、混沌の時代に突入する。新たな226事変が起きることも想定されます。
国政は国民の憤懣を集めて右傾化が進み、積極財政はインフレを助長して更に国民を苦しめる。どこかに悪者を仕立てて憤まんをそちらに向かわしめる。
今の政治にその胎動を感じるのは私だけでしょうか。
やはり、リセットには戦争が必要なのか、行き着くところまで行かないと向きは変えられないのでしょうか。
夫婦で土を耕し野菜を育てて暮らしていく。どうか巻き込まないで欲しい。最後はいつも自分勝手で申し訳ないと思います。語るだけ親父は自分のことです。


