
1639年に鎖国令が出されて、1853年にペリーが来航して、開港の議論が始まり、結局、不平等な条約に基づく開港となった。横浜は貿易の町となり独特な雰囲気を持つ町として発展した。横浜は発展していった。開港は発展のきっかけであり、世界に輸出することで日本は発展する。横浜線は内地から生糸を運ぶために敷かれ、八高線も富岡製糸工場と生糸の産地を繋いだ。
藤野の周辺は生糸の生産の拠点で、上野原駅が山の中腹の離れたところにあるが、それは汽車の煙が蚕に悪影響があると思われたためだ。
このように開港は結果として経済発展のきっかけとなり得た訳で、日本人の潜在意識にはオープンな交易は発展の源泉と刻まれた。
一般的な日本の経済学者は実はそのように考えてなくて、鎖国こそが経済発展の源泉であったと結論づけている。鎖国により、国内に原始的資本の蓄積があった。それが、宣教師、開国、戦争の必殺パターンに巻き込まれなくて済んだ理由ということだ。鎖国は正解だったと。
最悪なのは中国だろう。イギリスは中国との交易で銀がどんどん流出し始めて、慌てて、アヘンを中国に売りつけて、銀の回収を図った。怒ったまともな中国人がアヘンの船を焼き払い、アヘン戦争が勃発、1842年南京条約で中国の敗北が決定し、以降、イギリスにやられ放題。イギリスの手口はヤクザよりアコギだ。そうやって築かれた大英帝国、そもそも同義的ではない。
日本の貿易収支は今やものすごい赤字。円安で海外の品物に頼っている経済体質では必然的にこのようになる。本当に開かれた貿易が自国のためか。生糸生産が盛んであった藤野の桑畑の跡地で作業をしているとそんなことを考える。


