根岸森林公園、旧根岸競馬場。競馬のレース名にも根岸記念というレースが残る。日本で最初に作られた競馬場です。造ったのは明治の頃に日本に商売に来た外人の皆さん。

小学生の頃はこんなに立派ではなく、ゴル場に使われた経緯もあり、砂場が所々あり、生えてる草も多様で、そこを段ボールをソリにしてわーきゃーと遊びまくった。

中学になると部活でランニングを周回して、エッホ、エッホとやっていたし、初めてデートをしたのもこの公園だった。

自宅がここに近く、滅多にない大雪の日には、スキーを履いて自宅からノルディックしたこともある。最近は整備も進み、いつの頃からか桜も咲くようになった。二人で描いた相合傘の木はどうなっているんだろうか。

この周辺に住む人々にはこの公園の思い出がそれぞれあるに違いない。インフラはこのように整備されるべきだと思う。もし、明治の開発を日本人がやっていたらこんな公園は残ってはいない。後世に深く利用されるインフラを整備するという意味では、大昔の日本では、神社仏閣に寄進するという形があったし、大財閥が金に物を言わせて整備した公園、三溪園もその一つかもしれないが、そういう形があったが、みんなで資金を持ち寄ってとなるとどうなんだか。

横浜の印象は人によってイメージはまちまちだが、60年近く住む私にとっての横浜は、この森林公園から始まる港の見える丘公園に続く尾根とそこから降って元町、中華街、山下公園のエリアで、そこから先は新しい横浜ということになる。魑魅魍魎とした部分では伊勢佐木町とその周囲に広がる、長者町、野毛、福富町、曙町の辺りか。

なんでもありの風土、これが横浜の印象。品の良い山手町に住む人の多くはこの魑魅魍魎とした世界で生き残った人たちの棲家とも言える。あまり常識にとらわれない人が横浜人の特徴ではないか。実際、父もそのような横浜に引き付けられて、岐阜から上がってきた人の一人だろう。混沌と可能性の街、それが横浜。野生味を失ってはいけない。

それと本牧を忘れていた。米国にほぼ占拠されて、米兵相手にレストランが散在するエリア、もう少し海側に行くと暴走族の皆さんの集会所。ここも横浜らしいエリアだが、最近は元気がない。

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